Vol.1

使わない財布

いまから4年前、国際協力機構JICAの一員として、モロッコに単身で駐在していたことがある。モロッコは革製品やバラなどが有名な国だ。英語のほかにフランス語がつかわれている。僕は、日本人として現地メンバーをまとめる役割で着任したのだが、その頃の僕はと言えば、36歳。正直まだまだマジメントスキル云々なんていえるようなレベルではなかった。

現地事務所に到着してまず驚いたことは多様性だ。多様性と言えば聞こえはいいが、平たく言えば、みんなてんでバラバラで、業務チームとしてはほとんど機能していなかったといえる。理由はすぐに分かった。日本人メンバー間では共有されている当たり前の情報が、現地人メンバーにはほとんど共有されていなかった。これではチームが有機的・能動的に動けるはずがない。

いま何が起きているのか、僕らが把握している事実はどんなことなのか、誰がその部分に詳しいのか、問題は何なのか。現地スタッフのマネジメントといえば、上から目線になりがちだが、僕は現地メンバーに対等に向き合って、情報を徹底的に共有することから始めた。仕事柄、英語はそれなりに話すけれども、フランス語となると途端に速度と質が落ちる。相手に何かを伝えようとするときに、よちよちのフランス語を引っ張り出してきては、通じるものも通じない。もどかしかった。歯痒かった。

そんな時、現地のメンバーがサポートを申し出てくれた。「とにかく、話しなさい。吐き出しなさい。あなたの知っていることを、みんなは知らない。だから、英語でいいからどんどん話しなさい。私がフランス語に通訳してあげるから。」僕は日本人メンバーが知っていることをどんどん現地メンバーに発信していった。年齢や経験や分野なんて関係ない、ひとりの人間として。チームは徐々に、連携した動きができるようになってきた。情報が先か、心が先かはわからない。少なくとも僕らモロッコのチームは通い合うものができてから一丸となって機能できるようになった。後半は、周辺情報を熟知している彼らからオリジナルの提案をしてもらえるまでになった。

この世界はとかく人の出入りが激しい。複数のプロジェクトが同時多発的に進行している。いつのまにか誰かがいなくなっていて、いつの間にか新しい顔がそこにあったりする。各自、現場の動きがあるので全員が集結することもなかなか難しいのだ。

ところが、僕が日本に帰国する日が近づいたある日、現地メンバーがわざわざ送別会を開いてくれることになった。それだけでも珍しいことであるし、うれしかった。仕事の都合でその日はどうしても参加できない人もいて、彼は日程調整を担当していた幹事役に激怒した、とかいう話も後になって聞いた。本当に温かい時間を過ごせた。僕が言葉の壁にぶつかったときに、フランス語への通訳を申し出てくれた現地人メンバーは、涙を流してくれた。

その席で、送別の品としてモロッコ製の革の長財布をいただいた。観光客ならば簡単に手が届くかもしれないが、現地のメンバーにとっては高嶺の花だったはずだ。みんなでお金を出し合って、僕のために買い求めてくれたのだそうだ。その財布はモロッコの思い出がパンパンに詰まったまま、いまも大切にしまってある。大事すぎて使えないとは、こういうことをいうのだろう。僕にとっては宝物の財布だ。

近い将来、僕はモロッコを訪れようと思う。そして当時のチームの事務所を訪ねるつもりだ。

ちょうどあの頃に日本で生まれた
今は少し大きくなった僕の息子をつれて。